片づけは思いやり

つい先日、小3の娘とちょっとした口論に。
理由は、「なんで最後に使った人が片付けないといけないのか?」ということでした。

娘がこう思っていることに少しびっくり。
私の中では当たり前の価値観だった事が、娘にとってはなんで?と疑問に思うことだったから。

娘の言い分は、
「弟もお父さんも一緒にアルバムを見ていたのに、最後に手に取った自分だけが片づけるのが
納得いかない。だから、そのままにしておいた。」

「みんなで使っていたのに、たまたま最後に使った自分だけが片づけるのは損した気分になる。みんなずるい!」

娘の言い分も「なるほどな〜」と思いました。
私はどう説明していいのか少し迷いつつも、これって思いやりにつながるんじゃない?と話してみました。

たしかにみんなで使っていたものを、自分だけが片づけることになるのは納得がいかないかもしれない。かといって、使っていた人全員を集めて一緒に片づけよう、というのはこれまた違うような気もする。

これは、家であっても、学校であっても、同じような場面はたくさんあって、みんな最後に使った人が、元の場所に片づけるという行動をしている。

その時に感じてほしいのは、自分だけがその空間を使っているわけではないということと。他者との関わりで生活が成り立っていること。他者との生活を円滑にするためには、思いやりや優しさが大切になってくる場面があるんじゃないか。

自分だけが損をしたくない。あの人もこれを使っていたからあの人が片づけるべきだ!という主張は、
結果自分のことしか考えていないことになるよ。

と、小3でもわかる言葉を選んで、頭をひねりながら話してみました。

これは、夫婦関係でも、職場でも、大人の世界にも当てはめられる事例なのかなと感じました。

私だけが損をしている、あのひとはずるい!と考えてばかりいると、思いやりや優しさは必要なくなり、自分の損得だけで行動することになってしまいます。

最後に使った人が元に戻すという行為も、その後に使う人が困らないように、共有している場所をみんなが気持ちよく使えるように、思いやりと優しさを持ってする行動なんだと再認識できました。

娘は私の話を聞いて、ねこちゃんクッションで顔をかくしていたものの、うなづきながら理解してくれていたようでした。

は〜。親って大変だ・・と思いつつも、子どもの素朴な疑問から、こうして深く考えるきっかけをもらえるのは
とてもありがたいことだなと感じた出来事でした。